健康診断の現場や循環器内科の外来では、結果表を受け取った受診者による切実な動揺が日々観察されます。SNSや大手相談掲示板を調査すると、「胸の痛みなど一度も感じたことがないのに『要精密検査(E判定)』と書かれて頭が真っ白になった」「心筋梗塞の前触れではないかと怯えて眠れない」という悲痛な叫びが溢れています。
都内の大学病院および地域中核病院の循環器内科外来に取材を行うと、心電図異常で紹介受診してくる患者の約60〜70%は完全な無自覚・無症状です。診察室を訪れた40代男性は次のように述懐しています。
「毎年オールAだった健康診断で、突然『陰性T波・要精密検査』の赤文字が出ました。階段を登っても息切れひとつしないため、最初は機器のエラーだろうと放置しようと考えました。しかし妻に強く促されて専門病院で心エコー検査を受けたところ、左心室の先端が異常に分厚くなる心尖部肥大型心筋症と診断されました。『もし放置して激しい運動を続けていたら危なかった』と主治医から告げられ、背筋が凍りつきました」
この受診者が陥りかけた心理状態は、行動経済学や心理学で「正常性バイアス(Normalcy Bias)」と呼ばれるものです。「自分だけは病気にかかるはずがない」「痛くないのだから身体に異常があるわけがない」と都合よく解釈し、脅威を過小評価してしまう無意識の防衛機制です。特に心臓疾患は、冠動脈の血流が70%以上狭窄して初めて自覚症状が出現することが多く、「痛くない=健康」という等式は全く成り立たないのです。