丸山千枚田の起源は定かではありませんが、文献上の記録としては天正18年(1590年)の検地帳にその原型が見られます。江戸時代初期の慶長6年(1601年)には、実に2,240枚もの田が存在していたと記録されています。「一枚足りないと思ったら菅笠の下に隠れていた」という言い伝えが残るほど、極小の田が無数に連なる緻密な空間でした。
しかし、昭和の高度経済成長期から平成初期にかけて、過疎化と高齢化、さらには国の減反政策が直撃します。機械が入れない急斜面での耕作は過酷を極め、一時は耕作田がわずか530枚程度にまで激減し、多くが雑木やススキに覆われた荒廃地へと姿を変えていきました。
転機が訪れたのは1993年(平成5年)のことです。当時の旧紀和町(現・熊野市)が日本初となる「千枚田条例」を制定。「先祖から受け継いだ唯一無二の遺産を後世に残す」という強い決意のもと、住民や行政、ボランティアが一丸となった復元事業がスタートしました。重機を入れられない場所では、一つひとつ人力で石積みを修復し、泥を掻き出す地道な作業が重ねられ、現在の1,340枚(約7ヘクタール)という壮大な姿が蘇ったのです。