アニメ『いぬやしき』が企画された段階で、さとうけいいち総監督や籔田修平監督をはじめとするメインスタッフが最もこだわったのは、「どこまでもリアルな東京の日常に、突如として異物(兵器化された肉体)が紛れ込む恐怖」の描写でした。定年を目前にして家族から疎まれ、末期がんで余命宣告を受ける犬屋敷壱郎。そして、退屈な日常のなかで平然と他人の命を奪う獅子神皓。この極端な二人のコントラストを成立させるために必要だったのが、いわゆる「アニメらしい美声や誇張された芝居」の完全な排除でした。
公式発表資料や当時の制作陣のインタビューを振り返ると、小日向文世氏の起用は満場一致に近い形で進められたことが分かります。犬屋敷壱郎というキャラクターは、奥浩哉氏の描く緻密な線画において、実在の小日向氏を彷彿とさせる風貌をしていました。しかし理由は外見の類似だけにとどまりません。背中を丸め、社会の片隅で小さくなって生きる中年男性の「吐息」「かすれ声」「自信のなさ」を、声のデフォルメなしで表現できる表現者として、長年舞台や映像で人間の悲哀を演じ分けてきた小日向氏の存在が不可欠だったのです。
一方、獅子神皓役に抜擢された村上虹郎氏は、本作が本格的な声優初挑戦でした。制作陣が求めたのは、従来のアニメの悪役にありがちな「狂気に満ちた大声」や「分かりやすい邪悪さ」ではなく、どこにでもいる普通の男子高校生が持つ、無感情でフラットな質感でした。友人と他愛もない雑談を交わすテンションのまま引き金を引く、その冷徹な二面性を表現するには、村上氏が持つ独特のアンニュイなハスキーボイスと、枠に収まらない映画的な間合いが決定打となったと関係者は証言しています。