「江戸時代の庶民の食事事情」を語る上で欠かせないのが、初期と後期における劇的な変化です。江戸初期の庶民は玄米や雑穀を中心とした一日二食の生活を送っていました。しかし、1657年の明暦の大火を契機に、都市の復興工事に従事する大工や職人たちへスタミナをつけさせるため、正午に「昼食」を支給する習慣が定着します。さらに、菜種油の流通によって行灯の明かりが普及し、人々の活動時間が夜遅くまで延びたことが「江戸時代一日三食の定着理由」となりました。
長屋に暮らす職人や商人の朝は、炊きたての温かい白米と、具だくさんの味噌汁、そして香の物(ぬか漬け)から始まります。「江戸時代長屋の食生活実態」を記録した当時の随筆『守貞謾稿(もりさだまんこう)』によると、江戸の長屋には朝早くから納豆売りや豆腐売り、シジミ売りなどの棒手振(ぼてふり)が威勢のいい声を響かせて巡回しており、出来立ての食材を手軽に購入できました。
昼食は朝に炊いておひつに移した冷や飯に熱いお茶をかけ、煮豆や切り干し大根などの総菜を添えて手早く済ませるのが定番でした。そして夕食には、再びお茶漬けや雑炊を食べるか、あるいは仕事を終えた足で活気あふれる町の屋台へと繰り出していたのです。質素どころか、毎日精米されたばかりの白米をお腹いっぱい食べ、旬の魚介や野菜を買い求める生活は、当時の世界のどの都市と比べても極めて水準の高い食環境でした。