落語協会を脱退するということは、東京の常設寄席(鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場)への出演権を完全に失うことを意味していました。落語家にとって寄席を失うことは致命傷になりかねない時代に、談志は1983年6月、自らを「家元」とする独自の団体「落語立川流」を創設します。
談志が掲げた立川流の昇進基準は、従来の落語界とは一線を画す極めて過酷なものでした。
- 前座から二ツ目への昇進:古典落語50席の習得、歌舞伎や邦楽など伝統芸能の素養、さらには家元への上納金。
- 真打ちへの昇進:古典落語100席の習得に加え、独演会を満員にする集客力と自立した芸人としての圧倒的な存在感。
寄席という守られたプラットフォームを捨て、ホール落語やメディア出演で己の芸のみを頼りに生き残る道を選んだ立川流は、立川志の輔、立川談春、立川志らくといった現代のトップランナーたちを次々と輩出することになります。小さんとの対立という過激な破壊行動が、結果として落語界全体の裾野を広げる起爆剤となったのです。