娘・りえさんが11歳でモデル活動を始めると、光子さんは個人事務所「エム・スリー」を設立し、自らマネジメントの全権を握ります。ここから「りえママ」の伝説的なプロデュース劇が幕を開けました。
大手芸能プロダクションの慣習に囚われず、自らの直感と戦略で娘を売り込むスタイルは、当時の芸能界において極めて異例でした。光子さんは現場に常に帯同し、衣装からカメラのアングル、照明の当たり方に至るまで一切の妥協を許しませんでした。大物プロデューサーに対しても一歩も引かず、最高条件を引き出す豪腕ぶりは、業界内で恐れられると同時に一目置かれる存在となっていったのです。
「三井のリハウス」の初代リハウスガール(白鳥麗子役)をはじめ、トップアイドルから本格派女優へと駆け上がる完璧なレールを敷いたのは、紛れもなく光子さんの卓越したプロデュース能力でした。