生存者の証言集や手記を紐解くと、戦火の中で少女たちが抱えていた生々しい感情と苦悩が浮かび上がってきます。多くのメディアや映画では「祖国のために殉じた健気な美談」として情緒的に描かれがちでしたが、現場で実際に起きていたのは人間の尊厳を極限まで奪われた生存の闘争でした。
生存者の一人は、自著や祈念館の証言映像の中で当時の心情を次のように語っています。
「『天皇のために死ぬことは名誉である』と教え込まれていましたが、いざ目の前で友人が砲弾で吹き飛ばされ、肉片が壕の天井にへばりつくのを見たとき、湧き上がってきたのは崇高な愛国心などではなく、ただただ『死にたくない、お母さんに会いたい』という底知れぬ恐怖でした。」
また、重傷を負って歩けなくなった親友から「連れていって」「置いていかないで」と懇願されながらも、米軍の火炎放射器から逃れるためにその手を振り払って逃げざるを得なかった記憶は、戦後数十年にわたり生存者たちの心を激しいサバイバーズ・ギルト(生き残りによる罪悪感)で苛み続けました。
彼女たちが身を潜めた戦跡のガマには、現在も無数の弾痕や薬品瓶の破片、生活の痕跡が残されています。そこにあったのは英雄的な叙事詩ではなく、戦場という狂気の中で翻弄された等身大の若者たちの苦悶でした。