高容姫(本名:高蓮姫 / 日本名:高田姫)は、1952年6月26日、大阪市生野区(旧・猪飼野エリア)で生まれました。父の高京澤(コ・ギョンテク)氏は済州島出身で、戦時中に日本へ渡航し、軍需工場などで働いていた経歴を持ちます。
当時の在日社会を大きく揺るがしたのが、1959年から始まった「北朝鮮帰国事業(北送事業)」でした。「地上の楽園」という大々的なプロパガンダが展開される中、高容姫一家は1962年5月、第93次帰国船に乗船して新潟港から北朝鮮の清津(チョンジン)港へと渡航。当時9歳だった少女は、自らの意思とは無関係に、極東の閉鎖国家へと人生の舵を切ることになりました。
北朝鮮において帰国者は「動揺階層(忠誠心が疑わしい階層)」として厳しい監視と差別を受けるのが通例でした。しかし、卓越した舞踊の才能に恵まれた高容姫は頭角を現し、1970年代初頭に国家最高峰の芸術集団である万寿台(マンスデ)芸術団の舞踊手(ダンサー)として抜擢されます。この類いまれな美貌と優雅な身のこなしが、独裁者・金正日の目に留まる決定的な契機となりました。