国立駿河療養所の歴史は、他の療養所とは大きく異なる過酷な運命から始まりました。太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)12月15日、軍事保護院が管轄する「傷痍軍人駿河療養所」として開設されたのです。日中戦争から太平洋戦争へと戦火が拡大する中、戦地でハンセン病を発症した陸海軍の軍人たちを国家の威信と軍紀維持のために強制隔離することが設立の直接的な動機でした。
当時の軍隊において、ハンセン病の罹患は「不名誉の病」として徹底的に隠蔽され、兵士たちは軍服を脱がされ、階級を剥奪された上でこの冷涼な御殿場の地に送られました。元入所者の残した手記には、次のような痛切な証言が刻まれています。
「お国のために命を捧げる覚悟で戦線に立った。だが病を得た瞬間、非国民のように扱われ、故郷の親兄弟にも別れを告げられぬまま駿河の鉄格子の奥に送られた。敵の銃弾ではなく、国家の冷徹な眼差しに心を撃ち抜かれた」
終戦直後の1945年12月、施設は厚生省に移管され「国立駿河療養所」と改称されました。特効薬プロミンの導入によって病そのものは完治する病気となったものの、1953年に制定された悪法「らい予防法」による強固な隔離政策は継続し、入所者たちは断種手術(優生手術)の強要や外出制限、手紙の検閲といった非人道的な権利侵害に長年耐え忍ぶことを余儀なくされたのです。