貴乃花部屋へ入門を果たし、瞬く間に頭角を現した息子だったが、その相撲人生は決して平坦な一本道ではなかった。師匠の退職に伴う部屋の消滅、千賀ノ浦部屋への移籍、そして常盤山部屋への改称といった相撲界の激動に翻弄されながらも、純子さんは常に変わらぬ安らぎの港として息子を迎え入れた。
大関昇進以降は、首や膝の度重なる怪我との壮絶な戦いの日々だった。どれほど重い痛みを抱えていても土俵に上がり続ける息子の姿に、純子さんは胸を引き裂かれる思いを抱えながらも、弱音を決して口にしなかった。日本相撲協会の看板を背負う重責と孤独を理解し、遠くから静かに寄り添い続けること。それこそが母としての揺るぎない覚悟だった。