広場恐怖症(Agoraphobia)という名称は、古代ギリシャのアゴラ(公共広場・市場)に由来します。しかし、精神医学における広場恐怖症の定義は「広い平野や広場が怖い」ことではありません。その本質は、「発作や身体の異変が起きたときに、すぐにその場から逃げ出せない、あるいは適切な助けが得られないかもしれない状況」に対して、極度な恐怖と不安を感じ、そうした場面を執拗に避ける不安症群(不安障害)の一種です。
アメリカ精神医学会の国際的診断基準であるDSM-5診断基準では、かつてパニック障害の付随症状として扱われていた広場恐怖症が、独立した疾患単位として明確に再定義されました。診断においては、以下の5つの典型的な場面のうち、「2つ以上の状況」に対して著しい恐怖や不安をほぼ毎回抱き、その回避行動が6か月以上持続していることが基本的な要件となります。
- 1. 公共交通機関の利用:電車、バス、航空機、船、地下鉄など
- 2. 広い開放的な空間にいること:駐車場、大型商業施設の吹き抜け、橋、広場など
- 3. 囲まれた・閉塞的な空間にいること:映画館、劇場、エレベーター、トンネル、会議室、美容室、歯医者の治療台など
- 4. 列に並ぶこと、または群衆・人混みの中にいること:レジの行列、満員電車、混雑したフェスやイベント会場など
- 5. 家の外に1人でいること:単独での外出、見知らぬ土地への移動など
臨床現場において頻繁に受ける質問が、パニック障害との違いです。簡潔に言えば、「パニック障害」は心臓が止まるのではないかというほどの激しい動悸、過呼吸、めまいといった突発的なパニック発作そのものを繰り返す疾患を指します。これに対し、「広場恐怖症」は、そうしたパニック症状や恥ずかしい身体的失策(失神、失禁、嘔吐など)が起きた際に「逃げ場のない特定の環境・シチュエーション」を過剰に恐れて回避する行動障害に力点が置かれます。
済生会などの公的医療機関の知見によれば、広場恐怖症を発症する患者の多くはパニック障害を先行して発症しているか、同時に併発しています。一度でも電車内などで凄惨な発作を経験すると、脳が「電車=命の危険が生じる場所」と誤認して条件づけを行い、二次的に広場恐怖症へと発展していく構造が浮き彫りになっています。