写真集の爆発的ヒットによって時代のアイコンとなった宮沢りえでしたが、その直後から人生の大きな試練が続きます。1992年11月、大相撲の若手花形力士であった貴花田(後の第65代横綱・貴乃花)との婚約を発表。「世紀のカップル」として日本中が祝福ムードに包まれました。
しかし、わずか2か月後の1993年1月に突如として婚約解消を発表。日本中に激震が走った記者会見で、宮沢りえは気丈に「無念です」と語り、破局の経緯については多くを語りませんでした。背景には、梨園や角界特有のしきたりと芸能活動の継続をめぐる親族間の対立、光子さんの思惑など様々な憶測が飛び交いました。
婚約破局以降、彼女は激しいメディアの過熱取材に晒され、心身のバランスを崩していきます。極度の激やせが報じられ、舞台の降板や自殺未遂疑惑、芸能活動の休止とアメリカへの長期滞在など、10代後半から20代半ばにかけての宮沢りえは、まさに芸能界の光と影を一身に背負う苦難の時期を過ごしました。