分派以降、両派が向けた刃は国家権力以上に「かつての同志」へと向かった。全日本学生自治会総連合(全学連)の主導権争いを引き金に、凄惨を極めたのが内ゲバである。鉄パイプ、バール、千枚通しを手にした襲撃部隊が、白昼堂々と大学構内やアジトを急襲した。
1975年、革マル派の襲撃部隊が埼玉県川口市のアパートに潜伏していた中核派最高指導者の本多延嘉を急襲、惨殺した事件は運動史を決定的に暗転させた。中核派は狂乱の報復戦に突入し、革マル派幹部のみならず末端の活動家までが次々と標的にされた。死者は両派合わせて100人を超え、負傷者は数千人に及ぶ。正義を標榜したはずの革命運動は、仲間割れの流血を正当化するカルト的な殺戮マシーンへと堕ちていった。