葛城の歴史を追う上で最大のミステリーとされるのが、「なぜ北葛城郡は現存し、南葛城郡は消滅したのか」という点です。この謎を解く鍵は、明治の地方制度改革と昭和の市町村合併のプロセスにあります。
明治29年(1896年)、明治政府の郡制改革に伴い、奈良県内では小規模な郡の統廃合が実施されました。このとき、葛下郡と広瀬郡が合併して「北葛城郡」が、葛上郡と忍海郡が合併して「南葛城郡」がそれぞれ誕生しました。これにより、古代以来分断されていた葛城の名が、南北の郡名として復活を遂げたのです。
大正12年(1923年)の郡制廃止の経緯を経て、郡役所が廃止され郡は単なる地理的区分(広域住所表示)となりましたが、戦後の自治体再編で両者の運命は大きく分かれます。
南葛城郡の消滅理由は、昭和33年(1958年)3月31日に行われた大規模合併にあります。南葛城郡に属していた御所町・葛城村・大正村・葛阪村の1町3村が合併し、「御所市(ごせし)」が発足しました。この合併によって南葛城郡に属する町村がゼロになったため、地方自治法上の規定により南葛城郡は完全に消滅することとなったのです。
一方の北葛城郡は、大和高田市(昭和23年市制)や香芝市(平成3年市制)、葛城市(平成16年市制)として次々に単独独立していったものの、王寺町をはじめとする4町が郡部に留まり続けたため、2026年現在も地図上にその名を刻み続けています。