1995年から中央公論社で全8巻にわたり刊行された『高松宮日記』は、日本の近現代史研究に計り知れない衝撃を与えました。宣仁親王が1921年から1947年までの26年間にわたって書き綴ったこの日記には、公式記録では隠蔽された軍上層部の狼狽、無責任な楽観論、そして昭和天皇との緊迫したやり取りが生々しく刻まれていたからです。
特筆すべきは、1941年(昭和16年)11月30日——真珠湾攻撃のわずか1週間前に起きた「昭和天皇への直言」です。海軍内部の物資不足や米軍との国力差を熟知していた宣仁親王は、宮中に参内し、実兄である昭和天皇に対して次のように開戦の無謀さを諫言しました。
「海軍は手一杯であります。どうも戦争は避けた方がよろしいかと存じます」
これに対し、すでに御前会議で開戦方針を承認していた昭和天皇は驚愕し、直ちに及川古四郎前海相や嶋田繁太郎海相を呼び出して真意を問い質す事態へと発展しました。日記には、対米強硬論を唱え続ける東條英機首相や海軍首脳部に対し、「子供のような議論」「大局を見失った暴挙」といった痛烈な批判が容赦ない筆致で記されています。昭和天皇と宣仁親王の間には、君主としての責務と現場参謀としての危機感という、立場を分かつ深い葛藤が存在していました。