この芸能を芸術の域にまで昇華させた立役者が、当時の伊予鉄道電気に勤務していた前田伍健である。川柳作家としても名を馳せていた彼は、即興の余興にすぎなかった振付と歌詞を洗練させ、三味線や太鼓の伴奏に合わせた本格的な楽曲へと整えていった。
昭和初期、前田伍健の指導のもとで洗練された野球拳は、花柳界の芸妓たちへと受け継がれる。単なる宴会の座興から、優雅さと躍動感を兼ね備えた洗練されたお座敷遊びへと進化したのだ。松山を訪れた文人や高官たちは、三味線の小気味よいリズムと粋な舞に酔いしれた。
前田が追求したのは「誰も傷つかず、誰もが主役になれる芸」だった。勝った者は誇らしげにポーズを決め、負けた者もまた軽快に踊り続ける。そこには敗者を辱める意図など微塵もなく、伊予松山のおおらかな気風が色濃く反映されていた。