フジテレビと産経新聞の関係を語る上で欠かせないのが、フジサンケイグループ(FCG)の創創業史です。1950年代後半、ニッポン放送と文化放送が共同出資してフジテレビジョンを立ち上げ、のちに実業家の水野成夫氏や鹿内信隆氏らが中心となって産経新聞社の経営再建に着手したことがグループ統合の原点となりました。
「彫刻の森美術館」や「ポニーキャニオン」など、文化・エンタメから活字・電波までを一体化させた鹿内家による強力なトップダウン経営は、昭和後期のメディア界を席巻しました。この強固な結束は、日頃目にする新聞のテレビ番組欄(ラテ欄)にも明確な痕跡を残しています。
新聞各紙のテレビ欄を開くと、左から「NHK総合・Eテレ」に続いて民放が並びますが、その掲載順は新聞社によって異なります。産経新聞やサンケイスポーツでは、民放の先頭または最も目立つ位置に「フジテレビ(8チャンネル)」が配置されるのが長年の慣例です。逆に、読売新聞では日本テレビが、朝日新聞ではテレビ朝日が優先的に配置されます。
一見すると些細なレイアウトの違いですが、これは単なる利便性ではなく、「自社の傘下・系列放送局の番組を最も目立たせ、視聴率向上に貢献させる」という半世紀以上にわたる新聞・テレビの相互送客戦略の表れなのです。