廃仏毀釈の猛威になぜ浄土真宗は耐え抜けたのか?壊滅と復活の真相

廃仏毀釈の猛威になぜ浄土真宗は耐え抜けたのか?壊滅と復活の真相

廃仏毀釈の猛威になぜ浄土真宗は耐え抜けたのか?壊滅と復活の真相の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。

廃仏毀釈の被害は地域によって大きな温度差がありましたが、とりわけ苛烈を極めたのが美濃国の苗木藩(現在の岐阜県中津川市周辺)と、薩摩国の薩摩藩(現在の鹿児島県)でした。

苗木藩では、藩主・遠山友禄の指揮のもと、明治3年(1870年)に徹底的な廃仏政策が断行されました。領内に存在した17か寺すべての寺院が取り壊され、仏像や仏具は川へ投げ込まれるか薪として燃やされました。僧侶は全員強制的に還俗(げんぞく:僧職を捨てて俗人に戻ること)させられ、領民全員が神道への改宗を余儀なくされるという、日本史上類を見ない「仏教の完全消滅」が引き起こされたのです。

浄土真宗の寺院数と被害状況を俯瞰すると、全国で推計数千から万単位の寺院が廃寺に追い込まれました。由緒ある名刹の建造物が解体資材として二束三文で売却され、貴重な金銅仏が溶かされて銃弾や貨幣の材料にされるなど、日本文化史上の損失は計り知れません。

池田 達也
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池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。