なぜ医学的根拠が存在しないにもかかわらず、「発達障害は母親の遺伝のせい」「母親の育て方のせい」という理不尽な論理が再生産され続けるのでしょうか。その深層には、日本社会に根深く沈殿する「母性神話」と性別役割分担の構造的暴力が横たわっています。
明治以降の良妻賢母思想や、昭和の高度経済成長期に固定化された「父親は外で稼ぎ、母親が家庭と子育ての全責任を負う」という規範は、令和の現代においても無意識のバイアスとして機能しています。乳幼児健診、保育園・幼稚園との連絡、療育施設への通院送迎、学校の面談に同席する保護者の大半は母親です。子どもの心身に何らかの課題が生じた際、社会や親族の視線が「現場担当者」である母親へ一極集中する力学が働きます。
家族社会学の視点から分析すると、ここには母親と子どものあいだの「心理的バウンダリー(境界線)」の機能不全が潜んでいます。母親が子どもを自分自身の延長として捉えてしまう母子共依存的な心性は、日本特有の「一心同体」を美徳とする文化によって強化されます。その結果、子どもの発達の遅れや行動特性を「自分自身の欠損」「自己の遺伝子の過失」と同一視し、底なしの罪悪感へと自らを追い込んでしまうのです。
さらに深刻なのは、配偶者や義父母が家庭内の危機から目を背けるため、スケープゴート(生贄)として母親の遺伝や家系を標的に仕立て上げる力学です。自らの家系の潔白を主張したい心理的防衛機制が、最も無防備な母親への責任転嫁という卑小な形で噴出します。母親の遺伝を断罪する言説の本質は、生物学の議論ではなく、家族内の権力関係と孤立した子育て環境が生み出した歪んだ社会病理に他なりません。