渡哲也さんの直接の死因として発表されたのは肺炎だった。2026年8月10日、都内の病院で静かに息を引き取った。だが、その背後には長年にわたり彼を苦しめ続けた複数の大病との過酷な戦いがあった。
1991年に直腸がんを公表し、人工肛門(オストメイト)を装着しながらも奇跡的な復帰を果たしたエピソードは広く知られている。過酷な手術とリハビリを乗り越え、オストメイト協議会の活動にも真摯に向き合う姿は多くの患者に勇気を与えた。しかし、試練はそれだけでは終わらなかった。後年には急性心筋梗塞を発症し、さらには慢性閉塞性肺疾患(COPD)や肺気腫などの重い呼吸器系疾患を患うことになる。
晩年は自宅で酸素吸入器を使用する生活が続いていた。それでも渡さんは、弱音を決して周囲に漏らさなかった。日々の呼吸さえ苦しい状態にありながら、自身の体調を気遣う周囲に対しては常に穏やかな笑みを浮かべ、気遣いを見せていたという。肺炎という直接の病因は、満身創痍となりながらも戦い抜いた肉体が迎えた、限界の瞬間でもあった。