1948年8月、名刺班の捜査員によって北海道小樽で逮捕されたのが平沢貞通だった。過去に詐欺事件を起こしていたことや、事件直後に不自然な出所不明の現金を持っていたことが逮捕の理由とされた。しかし、平沢は毒物に関する専門知識を持たない一介の画家に過ぎなかった。
過酷な取り調べの末に得られた「自白」は、公判に入ると完全に否認された。生存者による面通しでも犯人識別は極めて曖昧であり、現場から採取された指紋も平沢のものとは一致しなかった。何より、平沢が持っていた現金が被害品と一致するという決定的な物証は最後まで提示されなかった。1955年に死刑が確定したものの、歴代の法務大臣が誰一人として死刑執行命令書に署名しなかった事実は、日本の司法中枢そのものがこの判決に拭いがたい疑念を抱いていた証左に他ならない。平沢は獄中から無実を訴え続け、1987年、95歳で病死するまで独房の中で生きた。