2005年5月、彼は50代後半という若さで突然この世を去った。病魔による急逝であったと伝えられているが、組織のトップを失ったショックは稲川会内部に激震をもたらした。絶対的な首領の急死は、後継者をめぐる醜い暗闘の引き金となったのである。
四代目継承をめぐっては、直系組長たちの意見が真っ二つに割れ、一時は分裂の危機さえ囁かれた。父から受け継いだ絶対的血統の重みが消え去ったことで、抑え込まれていた内部の不満が一気に噴出。その後の角田吉男四代目、内堀和也五代目の時代へと続く組織の再編過程においても、彼が急逝したことによる権力の空白と爪痕は長らく尾を引くこととなった。