この極上柿のルーツを辿ると、江戸時代後期の長野県下伊那郡高森町(旧市田村)に行き着く。当時、この地の名主を務めていた代田伝之丞が、地域に自生していた渋柿の優れた性質に着目し、熱心に栽培と干し柿づくりを奨励したことがすべての始まりとされている。
渋くてそのままでは食べられない小ぶりな実を、手間暇かけて甘美な宝へと変える技術は、地域の人々の暮らしを支える貴重な産業へと育っていった。名もなき渋柿が「市田柿」として名乗りを上げ、百有余年の時を経て全国にその名を轟かせるようになった背景には、先人たちの飽くなき探求心と土地への誇りがあったのだ。