事故直後は自力で歩行し、会話も可能だった大内さんでしたが、放射線医学総合研究所(放医研)から東京大学医学部附属病院へ搬送された後、病状は急激に悪化しました。被曝から数日後には血液中の白血球がほぼ全滅し、無菌室での極限の治療が始まりました。
前例なき放射線障害に対し、日本トップクラスの医師団が集結。実妹からの「末梢血幹細胞移植」が試みられ、当初は白血球の生着に成功する兆しを見せました。しかし、体内に残存していた放射線の影響か、移植された妹の正常な染色体までもが変異・破壊されていくという驚愕の事態に直面します。
やがて皮膚が剥がれ落ち、包帯を取り替えるたびに体液が滲み出る状態となり、腸粘膜の脱落による大量の下血が続きました。1日数十回に及ぶ輸血と輸液によって命をつなぎ止め、心停止に見舞われながらも医療陣の蘇生措置により脈拍を取り戻す日々が続きました。苦闘の末、多臓器不全により1999年12月21日、大内さんは83日間の闘病生活に幕を閉じました。