東海村臨界事故における犠牲者は大内さん一人ではありません。バケツから沈殿槽へウラン溶液を直接注ぎ込んでいた同僚の篠原理人(しのはら・まさと)さん(当時40歳)も、推定6〜10シーベルトという致死量を遥かに超える被曝を被りました。
篠原さんは放射線医学総合研究所や東大医科学研究所で治療を受け、さい帯血移植などを経て一時的には車椅子で散歩ができるまでに回復を見せました。しかし、皮膚の広範な障害や感染症、呼吸不全を併発し、事故から約7ヶ月後となる2000年4月27日、211日間の闘病の末に多臓器不全で亡くなりました。
現場で少し離れた場所にいた作業責任者の横川豊さん(当時54歳)は推定1〜4.5シーベルトの被曝を受けましたが、治療を経て同年12月に退院を果たしています。事故全体では、現場の作業員3名に加え、救助にあたった救急隊員、JCO社員、近隣住民など合計667名以上が被曝線量登録される未曾有の事態となりました。