一休の生涯で最も人間味あふれるハイライトが、70代後半に訪れた大恋愛と、京都の名刹・大徳寺の再建です。
応仁の乱の戦火が広がる中、77歳の一休は、住庵のあった薬師堂で盲目の旅芸人(瞽女)であった美女・森侍者(しんじしゃ)と出会います。森侍者の奏でる音色と美しさに深く心を打たれた一休は熱烈な恋に落ち、二人は生活を共に始めました。
一休が著した漢詩集『狂雲集』には、老いてなお激しく燃え上がる森侍者への愛撫や情欲を赤裸々に綴った官能詩が多数収められています。世間体を一切気にせず、老境に至っても自らの本能と愛に正直であり続けました。
その後、文明6年(1474年)、後土御門天皇の勅命により、応仁の乱で荒廃した臨済宗大本山・大徳寺の住持(第47世)に任命されます。生涯権威を嫌った一休ですが、恩ある寺の復興のためにこれを受諾。ただし大徳寺の境内に住むことはなく、現在の京都府京田辺市にある酬恩庵(一休寺)から通い、見事に寺の再建を果たしました。
文明13年(1481年)、一休宗純は酬恩庵にて88歳で示寂。「死にとうない」という人間味あふれる最期の言葉を残したという伝説も語り継がれるほど、命の幕引きまで飾らない本音を貫いた生涯でした。