1959年、19歳だった彼女は大きな決断を下し、ジャカルタへと旅立ちます。そこで出会ったのが、インドネシアの建国の父であり初代大統領であったスカルノ大統領でした。彼女の知的で誇り高い姿に魅了された大統領は、1962年に正式に彼女を第三夫人として迎え入れます。
「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ」という名を与えられた彼女は、名実ともに大統領夫人として外交の第一線に立つこととなりました。ヨーロッパ諸国を巡訪した際には、その類稀なる美貌と知性で各国の首脳や名士を魅了し、ヨーロッパの国際社交界において瞬く間に注目の的となりました。彼女の存在は、日本とインドネシア、そして世界をつなぐ架け橋としての役割も果たしていたのです。