デヴィ夫人こと根本七保子が生まれたのは1940年の東京。太平洋戦争の足音が近づく不穏な時代だった。父・兵七郎は腕の良い大工だったが、目を患い働けなくなることが多かった。そのため、家計の実質的な大黒柱となったのが母の政子さんである。
内職や慣れない労働でボロボロになりながらも、政子さんは子供たちの教育だけは諦めなかった。麻布霞町という土地柄、周囲には裕福な家庭も多かったが、根本家の暮らしは困窮を極めていた。当時の近隣住民の証言によれば、母は常に質素な着物をまとい、自分を犠牲にして娘と息子を育てていたという。この「絶対に弱音を吐かない母」の背中こそが、のちのデヴィ夫人の強固なプライドの土台となった。