検索窓に「でんでらりゅうば」と打ち込むと、サジェストの上位に「怖い意味」「都市伝説」「遊郭説」といった不穏なワードが並びます。特にSNSや知恵袋、オカルト系まとめサイトで熱心に語られているのが、江戸時代から日本三大遊郭の一つとして栄えた長崎・丸山遊郭にまつわる仮説です。
その言説の骨子はこうです。「でんでらりゅうばとは、借金で身売りされ、大門をくぐって外界へ出ることが許されなかった丸山の遊女が、格子の隙間から外を眺めながら『ここから逃げ出せるものなら逃げたいけれど、番人がいて出られないから諦めるしかない』と自らの悲運を嘆いた唄である」というものです。さらに派生形として、幕府の過酷なキリシタン弾圧下で信仰を隠し通した潜伏キリシタンの暗号歌説や、特定の感染症患者を隔離した療養所から出られない人々の怨嗟の歌であるとする言説まで存在します。
しかし、長崎の近世史および民俗学の史料を精査すると、これらの「怖い背景」を裏付ける一次史料や公的記録は一切存在しないことが判明しています。長崎学の専門機関や郷土史研究会の調査記録においても、この歌が遊女の嘆き唄やキリシタンの符丁として歌われていたという伝承は確認されていません。
では、なぜこのような都市伝説がこれほどまでに信憑性を帯びて拡散したのでしょうか。最大の要因は、1990年代後半から2000年代にかけてインターネット上で巻き起こった「童謡の怖い裏設定ブーム」です。『かごめかごめ』を罪人の処刑や中絶の歌とみなしたり、『ずいずいずっころばし』を隠密捜査の比喩としたりするのと同様に、無邪気なわらべ歌に背徳的・悲劇的な意味づけを見出して快感を覚えるサブカルチャー的消費の文脈に、「でんでらりゅうば」も巻き込まれたといえます。
加えて、長崎という街が持つ「出島」「丸山遊郭」「潜伏キリシタン」「原爆投下」といった重厚で影のある歴史的アイコンが、歌詞の「出られない」「行けない」という閉塞感と無意識に結びつけられ、もっともらしい物語として増殖してしまったのが真相です。