1995年3月20日、首都・東京の朝を地獄へと変えた地下鉄サリン事件。井上嘉浩はこの未曾有の無差別テロにおいて、散布役の送迎や連絡を取り仕切る現場指揮役を担った。なぜ彼は、化学兵器による一般市民の無差別殺傷という狂気の計画を止められなかったのか。後年の証言によれば、現場へ向かう車中、彼の手は小刻みに震え、もはや後戻りできない破滅の予感に怯えていたという。
事件後、逃亡の果てに逮捕された彼を待っていたのは、奪われた数多くの命と、後遺症に苦しみ続ける被害者たちの叫びだった。裁判が進むにつれ、自らが引き起こした惨状の凄まじさを思い知らされた彼は、法廷で涙を流し、被害者遺族に深々と頭を下げ続けた。しかし、いくら涙を流そうとも、奪われた命は二度と戻らない。自己の罪を直視する苦悶の日々は、死刑執行の瞬間まで彼を苛み続けた。