兄との決別後、蘆花は精神的な再生を求めて1906年に世界一周の巡礼の旅へと旅立ちます。その最大の目的地が、ロシアの文豪レフ・トルストイの私有地ヤースナヤ・ポリャーナでした。
大地に根ざし、農民とともに生きるトルストイの生活哲学に深い感銘を受けた蘆花は、帰国後に東京府千歳村粕谷(現在の東京都世田谷区粕谷)へ移住することを決意します。文壇の第一線から自らを切り離し、約三千坪の土地を買い取って「美的百姓」と称する晴耕雨読の自給自足生活をスタートさせたのです。
この特異な生活を陰で献身的に支えたのが、妻・愛子でした。気難しく激しい情熱を持つ蘆花に寄り添い、農作業や家事、来客の応対を一身に引き受けました。時には夫婦間の激しい衝突や危機もありましたが、愛子の存在なくして粕谷での創作活動や精神的安寧は成立し得ませんでした。蘆花の没後、愛子はこの思い出の詰まった邸宅と屋敷林を東京市へ寄贈し、後世へと遺す道を選びました。