「伊都内親王願文」を語る上で欠かせないのが、筆者とされる三筆の一人・橘逸勢の存在です。巻末の署名自体は内親王の名ですが、古くからその卓越した筆跡から橘逸勢の真筆と伝えられてきました。
橘逸勢は延暦23年(804年)、最澄や空海と同じ遣唐使船で唐へ渡り、中国の書家・文人たちから「橘秀才」と絶賛された天才です。彼の書の最大の特徴は、中国唐代の最新トレンドを吸収した「唐様(からよう)」の精華にあります。
作品に見られる筆跡の主な特徴は以下の通りです。
- 隷書に通じる独特の運筆(隷意):行書や草書をベースとしながらも、起筆や転折に隷書の骨太な筆遣いが随所に顔を覗かせます。
- 極端な痩肥のコントラスト:針のように細く鋭い線と、たっぷりと墨を含ませた太く力強い線が絶妙なバランスで混ざり合い、劇的なリズムを生み出しています。
- 自由奔放で奇抜な結体:文字の重心をあえて崩し、空間を大胆に使うことで、紙面全体に強烈な躍動感と緊張感を与えています。
王羲之の典雅な書法を基盤としつつも、唐代の顔真卿や李邕(りよう)を思わせる豪快さを併せ持った筆致は、優雅さを重んじる後の「和様」とは一線を画す、圧倒的なダイナミズムを誇っています。