大塩が蜂起に際して近隣の村々に配布した檄文(げきぶん)の内容は、幕府の正当性を根本から否定する極めて過激で論理的なものでした。
檄文には「幕府の役人どもは私利私欲に走り、江戸へ米を送り届けて出世の道具とすることのみに汲々とし、大坂の民が飢え死にするのを平然と見捨てている。これらはことごとく天道に背く大逆罪である」と記され、富豪の米を奪って貧民に分配することが「天誅(天に代わって下す正義の鉄槌)」であると宣言されていました。
しかし、現場となった大坂町民の反応は一様ではありませんでした。当時の町名主の日記や町民の記録を照合すると、大塩を「貧しい者を救おうとしてくれた神仏のようなお方」と崇める声があった一方で、反乱に伴う大火(いわゆる大塩焼け)で自宅を焼き出された多くの一般庶民からは「義挙はありがたいが、町を焼き払われては生きていけない」という恨み節が残されています。
現代のネットコミュニティや歴史愛好家の間でも「大塩は真の正義漢だったのか、それとも手段を誤ったテロリストだったのか」という議論が絶えません。しかし、この冷徹なまでの二面性こそが、平和な泰平の眠りについていた江戸社会へ突きつけられた劇薬の実像だったと言えます。