現在どれほど休場が重なろうとも、相撲界において照ノ富士に対する敬意が失われないのは、彼が打ち立てた前代未聞の序二段から復活を遂げたバックボーンがあるからです。
2015年5月場所、23歳の若さで大関昇進を果たした照ノ富士は、その剛腕ぶりから「次代の絶対的横綱」と嘱望されていました。しかし、直後から度重なる怪我と膝の手術、さらには重度の内科疾患が彼を襲います。大関から関脇、小結、前頭、十両、幕下と番付を滑り落ち、2019年春場所には実に東序二段48枚目まで転落しました。大関経験者が序二段まで陥落したのは大相撲の長い歴史上でも初の異常事態でした。
当時の報道や自著の手記によると、照ノ富士は幾度となく師匠の伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)に対し「相撲を辞めさせてください」と頭を下げたといいます。しかし師匠は「辞めるのは怪我を治してからでも遅くない」「治療に専念しろ」と首を縦に振らず、弟子の可能性を信じ続けました。この師弟の強い信頼関係が、地獄の底にいた怪物の闘志を再び呼び覚ましました。
無観客開催が続いたコロナ禍の2026年7月場所、幕内復帰を果たすと同時にいきなり2度目の幕内最高優勝を飾り、相撲界を驚愕させました。そして2026年名古屋場所後、ついに第73代横綱への昇進を決定づけます。その後も膝に爆弾を抱えながら、出場した場所では無類の勝負強さを発揮し、通算優勝回数は10回という歴史的大台に到達。このドラマチックな横綱昇進の経歴と圧倒的な成績こそが、彼を単なる強豪力士ではなく「不屈の象徴」たらしめている所以です。