事件直後、松方正義首相、伊藤博文枢密院議長、井上馨、山田顕義司法大臣ら政府首脳は、「津田を死刑に処さなければロシア皇帝の怒りは収まらず、国家が滅びる」と確信しました。しかし、当時の旧刑法において、皇太子ニコライは「外国の要人」であり、適用可能な条文は一般人に対する「謀殺未遂罪(刑法292条)」でした。この罪の最高刑は無期徒刑(無期懲役)であり、未遂である以上は死刑にすることができませんでした。
そこで政府は、日本の天皇・皇后・皇太子に危害を加えた者を無条件で死刑とする「大逆罪(刑法116条)」を無理やり拡大解釈し、外国の皇太子にも適用して死刑判決を下すよう裁判官たちに猛烈な圧力をかけました。これに対し、大審院長・児島惟謙は「明文のない法律を無理に適用することは法治国家の自殺である」として断固拒否しました。
1891年5月27日、大津地方裁判所で行われた特別法廷において、裁判長・提林(さげはし)研三をはじめとする判事団は、政府の凄まじい威嚇に屈することなく、津田三蔵に対し無期徒刑(謀殺未遂罪)の判決を言い渡しました。