熱狂の頂点にあったバンドだが、やがて音楽性の相違や方向性をめぐり亀裂が生じる。1986年、象徴的存在だった田中昌之が脱退。ソロシンガーとしての道を歩み始める。さらに1989年、田中を過酷な試練が襲う。草野球の試合中に打球が喉を直撃し、トレードマークだったあの圧倒的ハイトーンを突如として失ってしまったのだ。
一方で、バンドはムッシュ吉﨑が看板を守る形で活動を継続していく。ここで勃発したのが「クリスタルキング」の名称および商標権を巡る法廷闘争だった。吉﨑側がバンド名を商標登録したことを受け、田中がソロ活動で旧バンド名を名乗ることに法的な制約が生じ、メディアでも大きく報じられた。互いの誇りと音楽人生がぶつかり合ったこの騒動は、黄金期を知るファンにとっても胸の痛む現実であった。