2011年3月11日午後2時46分。激しい揺れが収まった直後、子どもたちは教頭らの指示に従い、校庭の中央へと集まった。余震が続き、焚き火の煙が立ち上る校庭で、一部の児童や近隣住民は背後の山を見上げていた。「山さ逃げよう」「ここにおったら死ぬ」。子どもたちの口から漏れた切迫した言葉を、現場の大人が受け止めることはなかった。
裏山は、児童たちが普段からキノコ狩りや課外学習で親しんでいた身近な斜面だった。低学年でも数分あれば安全圏まで登ることができる緩やかなルートも存在していた。しかし、教員たちの足は止まったままだった。「山は崩れる恐れがある」「倒木が危険だ」。校庭に留まること自体の危険性が議論から抜け落ち、時間だけが刻一刻と過ぎていった。