現在でこそ押しも押されもせぬ名将として知られる西谷監督ですが、選手時代は決して華々しいスター街道を歩んできたわけではありません。兵庫県の名門・報徳学園高校に進学したものの、ポジションは捕手で控え選手。甲子園の土を踏む夢は選手としては叶いませんでした。
高校卒業後は関西大学法学部へ進学。関西大学野球部でも選手としてプレーしつつ、持ち前の野球観と周囲を観察する能力を買われ、学生コーチや主務(マネージャー)としてチームを裏から支える経験を積みます。この大学時代に培った「チーム全体を俯瞰し、選手の適性や心理状態を把握する洞察力」こそが、後の指導者人生の大きな礎となりました。
大学卒業後、1993年に大阪桐蔭高校へ社会科(公民・歴史等)の嘱託職員およびコーチとして着任。前監督の退任に伴い1998年に監督へ就任すると、徹底した意識改革と情熱的な指導で、新興勢力だった同校を一気に全国屈指の強豪へと押し上げました。