宮沢賢治は死ぬ間際まで優しかったと言われています。
死ぬ間際の宮沢賢治について深く迫ってみましょう。
農民の相談を受けていた
宮沢賢治は急性肺炎の兆しと診断された後も、丁寧に農民の相談に乗っていました。
神社の祭りを見物している宮沢賢治を見かけた農民が、祭りの翌朝に相談に来たようなのです。
実際に話をした後、呼吸が苦しくなり、医者から急性診断の兆しと診断されてしまいました。
しかし、その夜、別の農民が相談に来ましたが、宮沢賢治は着物を着替えて、1時間程丁寧に相談を乗ったんだそうです。
相当呼吸が苦しかったに違いないと思いますが、自分に頼ってきた人を無下にはできなかったのでしょう。
自分でお経を唱えて父に褒められていた
宮沢賢治は突然「南無妙法蓮華経」を唱え始め、驚いた家族に「国訳の妙法蓮華経を1千部つくってください」と語りました。
その時はとうとう血を吐いており、顔色も真っ青でした。
これまでは宮沢賢治は蓮華経、父親は浄土真宗を信仰していたので、対立していたことが多い二人でしたが、父親は信仰心の厚さに感激し、「おまえもなかなかえらい」と褒めました。
この時、「俺もとうとうおとうさんにほめられたものな」と弟に話し喜ばれたそうです。
そこから2時間後、宮沢賢治は家族に見守る中、呼吸が変わり潮が引くように息を引き取ったのでした。