大久野島を語る上で避けて通れないのが、「大久野島にウサギはなぜいるのか」という疑問と、島が背負ってきた過酷な近現代史の交差点です。
俗説として長年語り継がれてきたものに、「戦時中に毒ガス実験のために使われていた実験用ウサギの生き残りが繁殖したのではないか」という言説があります。しかし、これは明確な歴史的誤認です。日中戦争から第二次世界大戦にかけて、日本陸軍は化学兵器(イペリットやルイサイトなど)を製造するため、この島を機密拠点に指定し、当時の地図から大久野島の存在そのものを消し去りました。当時、確かに毒ガスの効果を検証するためにウサギが持ち込まれ実験に供されていた事実は、島内にある大久野島毒ガス資料館の歴史展示でも詳細に記録されています。しかし、1945年の敗戦時に進駐軍によって毒ガス施設が解体・無毒化された際、実験用のウサギはすべて安楽死処分されており、現在の野生個体群とは生物学的な繋がりは一切ありません。
現在のウサギたちの直接的なルーツは、戦後、島が国民休暇村として整備された後の1971年、地元・忠海の小学校で飼育されていた8羽のアナウサギが島に放されたことに端を発します。温暖で天敵のいない環境下、旺盛な繁殖力を持つアナウサギは世代交代を重ねて野生化し、島固有の景観を作り上げていきました。
凄惨な戦争の遺構と、無心に草を食むウサギたち。大久野島の特異性は、かつての加害と被害の歴史を伝える毒ガス貯蔵庫跡や発電場跡といった廃墟群と、愛らしい野生動物が同じ空間に同居しているという「光と影のコントラスト」にこそ存在しています。