2000年代後半、リーダーの酒井一圭が旗振り役となり産声を上げた純烈。その根底にあったのは、「親孝行、紅白出場、全国制覇」という直球のスローガンだった。白川裕二郎をはじめ、集まったメンバーの多くはいわゆる特撮ヒーロー出身の俳優たち。長身で端正なルックスを持ちながらも、挫折や怪我に苦しんでいた男たちが、生き残りをかけて飛び込んだのがムード歌謡の世界だった。
健康センターの宴会場を回り、観客一人ひとりと握手を交わす地道な営業活動。日本クラウン株式会社からのメジャーリリースを契機に知名度を急上昇させ、沈滞していた演歌・歌謡界に新風を吹き込んだ。しかし、頂点へと昇りつめる階段の途上では、グループの骨格を揺るがす別れが幾度となく繰り返されてきたのである。