改めて舛添要一の経歴を振り返ると、そのスタート地点の華々しさには圧倒される。1948年11月29日、福岡県北九州市生まれ。東京大学法学部を卒業後、フランス政府給費留学生としてパリ第1大学(パンテオン・ソルボンヌ)で国際政治学を学び、博士号を取得した。帰国後は東京大学教養学部教授、さらにはフランス・リヨン大学客員教授も務めた本物の国際政治学者である。
学術界でのキャリアを足がかりに、1989年の参議院議員選挙に自民党公認で出馬し初当選。その後、参議院議員を3期務め、2007年に第1次安倍内閣で厚生労働大臣として初入閣を果たす。2009年の政権交代後は自民党を離党し、新党改革を結成して代表に就任。しかし2010年の参院選で議席を失い、代表を辞任した。この頃から「選挙に弱い政治家」という評価が定着し始める。
2014年、東京都知事選挙に無所属で出馬し、約211万票という歴代最多得票で当選。国際派知事として五輪招致や豊洲市場問題への対応で注目を集めたが、その栄光は長くは続かなかった。