東京地方裁判所での公判において、被告側の責任能力や動機の解明が主要な争点となった。裁判官が下した死刑判決は、その残虐性と社会に与えた衝撃の大きさを鑑みれば当然の結論であったが、判決文に刻まれた事実経過は、現代特有の病理を色濃く反映していた。
秋葉原という象徴的な場所で引き起こされたこの無差別殺人事件は、見知らぬ他者を自らの絶望の道連れにするという理不尽極まりない犯罪のひな型となった。東京地方裁判所の審理を通じて明らかになったのは、加藤が抱いた被害者意識の歪みと、社会的承認への飢餓感である。「誰でもよかった」という言葉の裏には、特定の個人ではなく「社会そのもの」を敵と見なす非対称な攻撃性が隠されていた。