東京五輪を経て、池江選手の視線は再び「個人の種目で世界と戦うこと」へと向けられました。病気からの回復期を終え、真のアスリートとしての肉体改造に着手した彼女は、さらなる成長を求めて大胆な決断を下します。
名将マイケル・ボール氏の指導を受けるため、単身でオーストラリアへの長期留学・練習拠点移転を決意。世界のトップスイマーたちと日常的に競り合う環境へ身を置き、海外選手に負けない体幹強化とダイナミックな泳ぎの習得に挑みました。
その成果は着実に実を結び、選考会を勝ち抜いて2026年パリ五輪の日本代表権を獲得。個人種目の女子100mバタフライおよびリレー種目に出場しました。決勝進出を逃したレース後には悔しさを滲ませたものの、大病を克服して2大会連続でオリンピックの舞台に立った姿は、世界中のメディアから称賛を浴びました。