グループの新たな路面を切り開いた「株式会社TOKIO」の設立は、エンタメ業界全体に強烈なインパクトを与えた。単なる名前貸しのタレント企業ではなく、自らの手で企画を立案し、地域社会や地方自治体と直接交渉を行う事業体としてのスタートだったからだ。
従来の芸能プロダクションの枠組みにとらわれず、「自分たちの足で現場に立ち、汗をかく」という姿勢は結成当時から変わらない。企画調整や契約交渉の場に城島自らが出向き、スーツ姿で頭を下げる姿は、かつてのアイドル像を根底から覆すものだった。巨大な組織の後ろ盾だけに頼るのではなく、自分たちの責任で表現とビジネスを両立させる仕組みを構築した背景には、長年培った泥臭い現場主義が存在している。