「麦の花には花びらがない」と聞いて驚く方も多いのではないでしょうか。私たちが普段イメージする花びら(花弁)や鮮やかな色合いは、麦の花には存在しません。植物学上、イネ科に属する麦は、風によって花粉を運ぶ「風媒花」または「自花受粉」を行う構造に進化しているため、虫を引き寄せる派手な装飾を必要としないのです。
実際の麦の花の特徴は、緑色の穂を構成する「頴(えい)」と呼ばれる殻の隙間から、白や黄緑色をしたマッチ棒のような小さな「葯(やく=雄しべの先端部分)」が外部にチョロンと垂れ下がる姿をしています。遠目から見ると、緑色の麦の穂全体に粉を吹いたような、あるいは繊細な糸くずが付着しているようにしか見えません。この控えめで素朴な佇まいこそが、麦の花のリアルな姿です。
さらに目撃を難しくしているのが、その驚異的な短さです。小麦の花の開花時間は、1つの小花あたりわずか20分から1時間程度、穂全体で見ても数時間から長くても数日で受粉プロセスを完了します。農研機構(国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構)などの栽培記録によると、主に晴天に恵まれた温暖な日の午前8時〜11時前後に集中して頴が開き、葯を外へ押し出します。受粉を終えると殻は速やかに閉じ、役目を終えた葯だけが風に吹かれて落下していくため、満開の瞬間を捉えることは極めて稀です。