内裏塚古墳に眠る人物は一体誰なのか――。この問いに対して、古代史および考古学界で最も有力とされているのが、古代の地方官である「須恵国造(すえのくにのみやつこ)」の首長層です。
『先代旧事本紀』の「国造本紀」などの古代文献によれば、須恵国造はヤマト王権からこの地域の支配を任された豪族と記されています。富津周辺は古くから「周淮(すえ)郡」と呼ばれ、製鉄や須恵器生産、塩づくりなどの産業とともに、東京湾を往来する船団を統制する拠点でした。
畿内の大王(ヤマト王権)が東国へ影響力を伸ばす際、浦賀水道の制海権を握る須恵国造の協力は不可欠でした。内裏塚古墳の被葬者は、王権の中枢と極めて親密な軍事同盟・政治関係を結び、その見返りとして畿内直系の前方後円墳の築造を認められた最高実力者であったと考えられています。