博多の町がどのような変遷を辿ろうとも、常にその中心であり続けたのが櫛田神社です。社伝によると創建は奈良時代の天平宝字元年(757年)、伊勢松阪の櫛田神社を勧請したことに始まると伝えられています。平安時代末期には、日宋貿易の拠点として博多を重視した平清盛によって手厚く保護され、神領が寄進された記録が残るなど、古代から中世にかけての対外交流の要衝であった博多の歴史と深く結びついています。
戦国時代の兵火によって一時は社殿が荒廃したものの、これを鮮やかに復興させたのが豊臣秀吉でした。天正15年(1587年)、秀吉が主導した「太閤町割り」によって博多の町が再編された際、現在の社殿の基礎となる社殿造営が行われ、博多の復興と自治の象徴として位置づけられました。この歴史的背景こそが、櫛田神社が単なる一神社にとどまらず、博多町人にとっての精神的支柱となった決定的な契機です。
都市社会学および歴史民俗学の視座から見ると、櫛田神社と博多商人の結びつきは極めて強固な「地域共同体自治」の構造を持っています。本殿には、商売繁盛の神である大幡主命(おおはたぬしのみこと)、厄除け・不老長寿を司る素戔嗚尊(すさのおのみこと)、そして天照皇大神(あまてらすおおみかみ)の三神が祀られており、博多の人々は自らの生業と生命の守護をこの社に託し続けてきました。町衆自らが祭りを支え、街を守るという博多独自の町人気質は、お櫛田さんへの篤い崇敬とともに育まれた文化遺産といえます。