事件直後から、ビートたけしの出演番組はすべて放送休止や出演見合わせの措置が取られました。レギュラー番組を多数抱えていた日本テレビ、TBS、フジテレビ、ニッポン放送などの各局は対応に追われ、日本中が「たけし不在」の事態に直面します。
冠番組であった『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』や『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は、たけし抜きで軍団メンバーや共演者がタイトルを守りながら継続。『オレたちひょうきん族』では盟友・明石家さんまが番組を支え続けました。この間、たけし自身は自宅で謹慎生活を送り、読書や数学の研究、絵画制作に没頭していたと伝えられています。
謹慎期間はおよそ7か月に及びました。1987年6月の判決確定を受け、同年7月23日放送のラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』でメディア復帰。第一声で語られた毒舌混じりの反省トークは圧倒的な聴取率を記録し、続いてテレビ番組へも順次復帰を果たしました。世間がたけしを完全に排除せず、むしろ熱狂的に迎え入れた背景には、事件の動機に対する一定の同情票と、彼が持つ圧倒的なタレントパワーがありました。