この電報が打たれた背景には、当時の日本が国家存亡の危機に立たされていたシビアな日露戦争の経緯があります。
1904年に勃発した日露戦争において、日本陸軍は激戦の末に旅順要塞を攻略し、旅順港のロシア太平洋艦隊を無力化しました。しかし、ロシア帝国は起死回生を狙い、ヨーロッパ側のバルト海から最強部隊であるバルチック艦隊(第2・第3太平洋艦隊)を極東へ派遣します。
アフリカ大陸の喜望峰を回る約7か月、3万キロ近くにおよぶ未曾有の航海を経て、バルチック艦隊はウラジオストク港を目指して日本近海へと迫っていました。もし日本海軍が敗れれば、補給線を断たれた陸軍は孤立し、日本本土への脅威も一気に高まるという絶対絶命の局面。戦艦三笠を旗艦とする連合艦隊は、対馬海峡での迎撃にすべてを懸けていました。